私は売れない漫画家
店長の仕事を抜けて、少しのパートぐらいの仕事になってから約半月ぐらいが経った。
なんだかこんなに仕事しないのは久しぶりすぎて、半年経ったぐらいに感じてしまう。
責任があると毎日何時も電話があったら取れるようにそばに置いといて、何か問題があったらすぐに行ったり、シフト調整したり、
最初の一週間はウキウキで学ぶことに徹そうと、竹花さんのMUPカレッジに入り、ゆかりさんのオンライン英会話に入ったり。
勉強に集中できるのがとても楽しくて。
嬉しくて有頂天でした。
今は不安が大きい。どうしても自信がない。
自分はやっぱり逃げ癖がついている。
今まで何かを最後まで成し遂げたことがない。
言うなら、高校もなんとか卒業したがほとんど行ってなかった。
専門学校も羞恥心から抜け出せず中退した。
初めてしっかり任された仕事が前の仕事だったけど、早く辞めたくて仕方がなかった。
任せれる人が居て良かった。
早く逃げたくて仕方がなかった。
嫌すぎて。嫌いすぎて。
接客は本当好きな仕事なんだけど、人に偉そうに指示するのが嫌すぎた。
偉そうな人も嫌すぎた。
人を教育する。これがどれだけ難しいことなのか。
しみじみ感じた。
自分は中途半端な人間だ。
最近は色々勉強してみながら、少しのパートで旦那さんに食わしてもらっている。
自分の力をつけたい。自分で生きる力をつけていたのにそれも退いた。
なんだか、、、自分は売れない漫画家みたいだな、と思った。
自分で自分のアイデアで起業を目指しているけど、、、それのための勉強の時間。
中途半端に仕事しながら勉強するよりも退いてしまえ。
そう覚悟したのは自分。
父や母にその話しをしても受け入れてくれない。
目線が冷たい。
起業できるわけがない。
と、はなから言われる。
起業してもそれが成功するとも限らない。
でも何かを始めないと何も進まないし、何も学べないし勉強したことを生かせない。
本当にできるのか?
また諦めるんじゃないのか?
仕事での我慢は危ない
昔ながらの世代は部下は上司に従い、部下は我慢を余儀なくされていましたが、そんな団魂世代の時代は過ぎて、ゆとり世代の私たちは今の時代に合った働き方に変えていかないといけないようになりました。
その中で大きく変わってきたことが我慢をしないで言うことは言っていかないとだめだ。言いたいことは言って自分のことは自分で守っていくという意識。
団魂世代は終身雇用や年功序列の制度があり、会社にかなり守られていた存在でした。
ですが今の時代は10年先が全く読めなくなり、時代の流れが目まぐるしいほど変わり、会社はいつどんなことがあって倒産になるかもわからない。
例えば自然災害、今のコロナウイルス。誰がこんなことになることを予測したでしょうか。
終身雇用や年功序列の制度はなくなり、自分のことは自分がしっかり守らないと生きていけない時代になってきています。
故に団魂世代は我慢を強いられても会社に居れば家族を養い、ローンを返すことができましたが、でも私たちは違うのです。自分で考えて生きていかないといけないのです。
考えれば若い子たちにとっては生きやすい世の中にはなったのかな?と思います。
YouTubeなど個人が活躍する場が増えているし、年功序列の制度がなくなり若くても才能があれば役職がもらえるようになる。
今やプロ奢ラレヤーさんや、なんもしない人さんみたいな生き方もできるのですから、個々それぞれの生き方で堂々とできるようになり、プラスで考えればみんな好きな生き方を選択できるのです。
そんな中でプロ奢ラレヤーさんのツイートで
こんな内容があり、すごく考えさせられました。
我慢というのをするとやはり人はバグみたいになりますよね。
やはりそれを無くすには、必ず疑問に思ったことは自分で解決できるように行動をする。
上司に問題を話し解決案を出す。
不振なことがあるなら上司と腹をわって話をする。
本当に考えが合わない奴とは仕事をしない。
などなど、我慢せずにありのままの自分で居て意見すればいい。
やはりそれは部下のうち若いうちでないと言えない。
余計なことを言っちゃっても、まだ若いからな。とかで許されるから。
30歳を過ぎて常識のない行動や発言をしてしまうとどうしても考え方を変えていくのに時間がかかります。
20代のうちは、素直に上司のアドバイスは受けた方がいいし、意見はたくさん聞いた方がいい。
30代で自分というものを構築していく。
話しが脱線しましたが、結論。
我慢はするべからず。常識の範囲内で(これムズイ)
好きな食べ物は何?
小学校の時とか、友達と話すときの話題に好きな食べ物は何?がありますね。
これは大人になったらあまり人に聞かなくなりますよね。
私がそれを聞くときは、本当に話題に困った時とか、好きな人とかその人を良く知りたい時とかに聞くかな。って思います。
好きな食べ物のあるご飯屋さんに誘いやすいから。
でも本当に聞かなくなりました。
そもそも聞いても反応しにくいですもんね。
「チョコレートが好きです」
って言われても、そうなんだーってなりますもんね。
自分が聞かれても困りますし。
もし自分が聞かれたら、結構悩みます。
自分の本当に好きな食べ物ってなんなんだろ・・・
そもそも好きな食べ物って変わりますよね。
今は、コーヒーかな。とか、
ツッコミ気質の人からすれば、それ飲み物やん!ってなるのかも。
いや、考えすぎですよね。
私は小学校の時からフライドポテトが好きでよく食べています。
たぶん今でも、週4ぐらいでは食べているかもしれません。
ある時からフライドポテトって言うのが恥ずかしくなり、じゃがいも。と言うようになりました。
で、今はじゃがいもも言うのが恥ずかしくなって、なんだろね~ってなりましたが、自分はやっぱりフライドポテトが好きなんでしょう。
なんの話しやねんってことなんですが、私はフライドポテトやポテチ、じゃがバターなどのじゃがいも製品が好きって話です。
考えた結果、好きな食べ物は何?から広がるような話のもっていき方をすればいいんですね。
私だったら、色んなお店のポテトを食べました。店に行けばポテトは絶対頼みます。
でも、だいたい最初に出てくるからそこで半分ぐらいお腹満たされてメインが食べきれない確率は結構ありますよね。的な。いやわからんが。
まぁだから、相手が何を聞き出したいのか考えて話をするか、ボケるか、とりあえず話をのばす。
うん、考えすぎだな。
父親は基準なのか
私は父親が会社をしているので、ずっと父親の会社にお世話になっています。
なので、外で働いたことはアルバイトしかありません。
コンビニを始めた時はひょんなことで個人経営になりましたが、ずっと上司と言えるのは父親だけです。
なので時折、父親が基準になることがあります。
アイデアを持ちかけても根っこから反対して話しも聞いてくれなかったりします。
経営の相談をしてもやたらダメ出しをされたり。
凄く腹がたつことはよくあります。
たまにこんなところ早く辞めて、別の道を行こうと思ったことはよくありました。
早くこんなところ出てってやる。とか思っちゃうわけです。
でもそれは、普通に働いていてもみんな同じ経験をしてるんだなと思いました。
私はたまたま上司が父親っていうだけで、特別関係はないのかもしれません。
父親だから、悪いところもよく知ってるし、反対に良いところもよく知っている。
それに私のことも悪いところも良いところも知っている。
それから前向きにとらえられるようになりました。
早くに親が離婚をし、母親に育ててもらった友達の話しで自分は父親が居なくて良かったと思っている。父親はやっぱり基準になってしまうから、父親より稼ごうと思えなくなってしまう傾向が強い。でも自分には基準がない。
そんな話を聞いて、自分は父親を超えようとかは思っていないし、父親より稼いでやるとかは全く考えていない。
でもやっぱり基本は父親だし、会社の社長だから何かの相談は父親にしないといけない。
そんなことを考えていると、なんかもう父親は気にしなくていいんじゃないの。
って根本的におかしいなと思い始めました。
父親はお金を稼ぐ商売が大好きです。人間不信でいつも人に頼るな。信用するな。
と、教えられてきました。
でも私はお金を稼ぎたいに焦点を置くとしんどいなと思っていて、そんなにお金をめちゃくちゃ稼ぎたいと思っていません。
人間も騙されたり裏切られたりはしましたが、人間も全てが悪いやつらじゃないし、信じたいと思っていて、やぱり違う時代を生きていて考え方もそれなりに違うのかもしれません。
大塚家具の家族の争いではありませんが、その経営方法はしんどいんじゃない?って感じで言うと、反論をされます。
でも私は家族が一番大事なので喧嘩したくもないし意地で自分の意見を通したいとも思いません。
両親には余生を幸せに過ごしてほしいし、健康になるべく争いなく過ごしてほしい。親孝行したいの方が勝っているんです。
やりたいことがあるなら、自分で会社起こしてやればいいんです。
自分が責任をもってやればいいんです。
結論、父親は基準かもしれない。
それにプラス、自分の考え方を組み合わせていけばいい。
父親は言ってることも正しい、私への安易な考えのお叱りやアドバイスもわかっています。1番私のことを考えてくているからなんです。
さて。。。これからどう生きていこうか。
人の幸せは?
私はコンビニで店長をしていますが、正直言って今はまだやっと自分のマインドが正常に運転し始めた時です。
私はこれまで人に支えられてきました。
これからは人を幸せにすることを考えたいと思い、じゃあ人を幸せにするってどうするの?
とりあえずは給与形態、働き方を見直す。
そして環境を変える。
私にできることは全力でやります。
でもそれも大事なんだけど、結局は人が幸せになるには前回も書いたように自分で幸せになることを考えてもらうところ、これが一番大事なんじゃないのかな。と思いだしました。
ある私の仲のいい人の話で、会社が辛くて辞めたい。でもお金もたくさん欲しい。
買い物が好きで辞められない。って悩みをいつも言ってしまってる人が居ます。
ポジティブよりもかなりネガティブ寄りのメンタルです。
この悩みは幸せな悩みなんです。結婚もしているし旦那の愚痴はあんまりないので家庭は円満なのでしょう。幸せが気づけていないのです。
答えは単純で、会社辞めたらいいし、買い物辞めたらいい。
お金が欲しいなら旦那様に尽くして楽しく働けるようにポジティブな言葉をかければいい。
何か一つあきらめれば、幸せになるはずなんです。
旦那に依存したくないなら、会社辞めるの諦めて働けばお金が入り買い物ができる。
お金を諦めれば、会社辞めて旦那さんに依存できる。
答えは簡単です。
でもすぐそんな考えにもっていくのも難しいのはわかります。
人は変わるのは難しい。
やはり努力が必要なんです。
でもみんな幸せになりたいとは少なからず願っているはずなんです。
愚痴なんて言いたくて言っているわけではないんです。
でもその愚痴のせいで人の幸せを削っていることも気づけていないそんな状況の人が本当に多いのです。
そのせいで社内が乱れてしまったりするんです。
家庭の事情や状況、健康。いろんな理由があるかもしれない。
でもどんな状況でも幸せを見つけている人は見つけているのです。
結論、私は人を幸せにする力は貸せるが、私が幸せにすることはできない。
だから、幸せになる手助けぐらいしかできない。でもそれで、自らが幸せになってくれればそれはそれで強い意志になる。
そんな会社作りをしていきたいな。と思いました。
自分の幸せって?
自分の人生の考えが変わった出来事の1つが、自分の幸せに気付いた時です。
師匠に自分が幸せにならないと周りも幸せにならないよ。と、言われたときは全然意味がわかんなかったし、それまでは自分は犠牲にならないとダメだと思っていました。
あとからそんな考え方がダメだったんだなと思いました。
まず、犠牲になっているという考えはしんどい。犠牲になってると思いつつ、楽しんで仕事をするふりをする。そらしんどい。
なんでそんな考え方になったのか。
とにかくその時は全ての発言がネガティブでした。
スタッフの前では笑顔で楽しくしてないといけない。もうそれも限界である。
そんな私は演技はうまくないだろうし。
私は前の働き方を変えて、社員に仕事を任せ、がむしゃらに仕事に入ることや無駄に出勤することをやめました。
私はコンビニで働き始めてずっと思っていたことは、子供と過ごしたい。
普通のことなのですが、それが叶っていませんでした。
それは自分のせいだと責めてしまっていたり。
そこで、私はお金の心配はやめて子供と居ることを優先しました。
そしたらどうでしょう。悩みは変わらないけど、幸せな感情は増えてきました。
ふとした朝ごはんの時間や夕飯の時間がとてもとても幸せで、幸せだなぁと口に出しちゃうぐらい笑
前はたまの休みに家族と居ても余裕がないので愚痴や不安しかなかったのですが、幸せをかみしめられるようになったのです。
これが、幸せか。と感じました。
そこから自分が何で幸せを感じて、どう生きるのが幸せなのか、自分探しを始めました。
そこで見つけた自己診断テストで私の生きるのに大事なことは、「目的」「家族」「魅力」の3つでした。
大事なことがわかると、自然と自分がやるべきことがわかってきた気がしました。
私は家族が大事。私の家族はみんな仲が良く、会社もみんな関わっています。
だから家族には絶対幸せになってほしい。
そして自分の子供にはこれからの時代に柔軟にたくましく生きて行ってほしい。
私はなにかしら判断をする時に目的は何?と思って生きていけば行動できることもわかりました。
魅力は、自分は自分らしく。人の言葉や考えに左右されず、自分らしく魅力的に生きる。せっかく女性に生まれたのだから、容姿も自分らしく生きたいと。一時は諦めたり、店長でその髪型はどうたらこうたら言われてその通りにしていましたが、もう気にしないことにしました。パーマかけてもらってウルフにしてもらって、今めちゃ気に入ってます。あぁ、自分にとって魅力ってとても大事なことなんだと思いました。
容姿や人の目をめちゃくちゃ気にして生きてきた自分には、魅力ってことばが一番しっくりきます。
全てDaiGoの動画を見て人生が変わりました。
ネガティブでマイナス思考だった考えも変わりました。
あぁ、自分は変われるんだと思い自信がつきました。
自分の幸せに気付くと毎日楽しくて一日が終わるのが悲しくなっちゃうぐらいです。
前まではもう毎日が嫌で嫌で。将来も不安でした。
でも今は家族さえ居ればお金なくても幸せに生きていけるっていう余裕さえ出てきました。
そいて一日一日を大事にしたいと思いました。
だから、愚痴を言っている人やしんどい苦しいって人は、自分の幸せについてもっと真剣に考えてほしいなと思います。
真剣に考えると、その考え出した幸せが人生を導き出し、悩みすらも前向きにとらえられるようになるのです。
暗黙の高校時代2
理由4
反抗心。何となーく、高校には行かなあかん。せめて高校までは行かないと。っていうのはわかってはいましたが、やっぱりどうしても行かなくなるにつれて朝起きて学校に行くっていう気にはなれなく、朝の母の怒鳴り声で余計に反抗してどんどん沼にはまっていっていました。
理由5
自分の容姿に自信がなく、またイジメにあってしまうんじゃないか、自分のことを悪く言われてるんじゃないか、気持ち悪いと思われているんじゃないかと思って私の居場所はこの学校にはないと思ってしまった。物凄く居心地悪かった。
これらの理由があり、私は学校にあまり行きませんでしたが、3年生になっていよいよ出席日数が足りなくて卒業できないかもしれないって時に担任の先生は家に何回も来てくれて両親や私と話しをしてくれていました。
正直私は目立たない子だし人に関心がないから友達以外のクラスの子や先生のことは名前も顔もほとんど覚えていません。小中高の先生とは本当に全く接することなく過ごした。
不思議と小学生一年生の先生は名前も顔もよく覚えてる。それ以外は全く覚えてない。
でも当時の先生は本当に苦労かけてしまったな、と申し訳なく思っているし、先生が居なかったら卒業できてなかったと思う。
めちゃくちゃ感謝しています。
あとは、母はいつも朝怒鳴り散らして大変だったし悩んだし苦しんだと思う。
一回真面目に殺されかけたことがあるぐらいです。棒で張っ倒そうと思ったのか、襲われかけました。
でも母は根気強く学校に送り迎えしてくれて、私は反抗的な態度ばかり取るし、姉さんが大阪に居たんだけどよく姉さんのとこに黙って電車乗って逃げてました。それでも心配して姉さんに電話してくれてました。
学校はあまり行かなかったけどバイトだけは真面目に行ってました。お金は稼ぎたかったんです。だから引きこもりって訳でもなく。
学校に行かなくなってしまう子は稀に居ますが、みんなそれぞれ違う考えや不安や悩みを持っているものです。
理由を決めつけたり、罵倒せずに、ちゃんと話しを聞いて不安や悩みを引き出して一緒に解決していってほしい。
ちゃんと教えてあげてほしいし、できることなら楽しい世界を見せてあげてほしい。
私は今、親の会社を引き継ぐことを決めて、物凄く後悔しています。ちゃんと学校で勉強して大学に行って学べば良かった。本当に心底思っています。
今からでもそうしたいと思うぐらいです。
そんな忘れてしまいたいぐらいな過去ですが、私は今受け入れて、もし悩んでる人が居たら私の体験を伝えたいなと思います。